秋の夜は自分の存在を疑いたくなるものです
2005年10月13日今、僕の目の前にはデスクトップパソコンの画面があるように見えています。しかし、実際には『見えている』だけで存在しないかもしれません。また、手先にはキーボードをたたく感覚がありますが、脳が勝手にそう思い込んでいるだけかもしれません。さらに言うと、テレビの音がや虫の鳴き声が聞こえてきますが、すべて幻聴かもしれません。
そのように疑いだすと、座っている椅子やなぜか床に落ちているボールペンなどの存在も怪しくなってきます。しかし、そうやって疑っている自分は確実に存在するのでしょうね?だって、自分が存在しなければ疑い自体が成立しなくなりますから・・・。
と、考えたのは僕ではなく、デカルトです。「我考える、故に我あり」という(感じだった気がする)台詞は有名です。
しかし、本当にそうでしょうか?本当に自分と言う存在を疑わなくて良いのでしょうか?もしかしたらにし〜という人物はこの世にいないかもしれませんよ。
むしろいません。私はキャサリンです。と、言うことをキリがないので、この辺で終わります。
そのように疑いだすと、座っている椅子やなぜか床に落ちているボールペンなどの存在も怪しくなってきます。しかし、そうやって疑っている自分は確実に存在するのでしょうね?だって、自分が存在しなければ疑い自体が成立しなくなりますから・・・。
と、考えたのは僕ではなく、デカルトです。「我考える、故に我あり」という(感じだった気がする)台詞は有名です。
しかし、本当にそうでしょうか?本当に自分と言う存在を疑わなくて良いのでしょうか?もしかしたらにし〜という人物はこの世にいないかもしれませんよ。
むしろいません。私はキャサリンです。と、言うことをキリがないので、この辺で終わります。
コメント