今日は辞書を使わず、僕なりの感性で恋愛について意味を考えながら語ろうと思います。
 まず、「恋」についてです。「恋に落ちる」とか「恋の始まり」などと言いますが、「愛に落ちる」とかは言いません。そのことから恋愛感情の最初にあるのは恋です。「あの人と一緒にいたい」や「手をつなぎたい」などと言う感情が恋です。池で泳いでいるのは鯉です。(うわー、ごめんなさい)
 では、「愛」とは何か?「兄弟愛」や「家族愛」などと言う言葉があるようにより親密な関係になれば愛いう感情が生まれるのです。ようするに恋の次に愛という感情が生まれてくるのです。「守りたい」などと言う感情がきっと愛です。
 何かの本で読んだことがあるのですが、愛し合っていると「恋」と言う刺激を求めて浮気をする人もいるそうです(それでも浮気は反対派)。でも、恋を求めてるのに相手のことを「愛人」と言いますよね。その矛盾はみなさんが考えてください。(何ッ!)
 ところで初恋の話をした時に出てきたN君の台詞に「3番目に好き」と言う台詞がありました。その時から僕の中では恋愛においての「好き」に順位はあるのか?と疑問に思ってきたわけです。でもですね、僕自身Kさんには女友達の中で1番好きだっただけではないのか?と言う思いもあります。確かに好意をもってました。あの時彼女が一番多く会話をした女性でしたからね。だから友達として好きだった。では、恋愛においての好きになるとは何なのでしょうか?
 おそらく興味・関心を持つことでもなく、意識することでもなく、「惚れる」と言うことではないでしょうか。いや、確かに前者も「好き」と言う感情に入ると思うのですが、「惚れる」は本能的と言うか動物的と言うか・・・そんな感じだと思います。出会い系サイトなどで顔やデータで決めるのではなく、直感と言うか感性というか運命と言うか・・・そんなもので決まる恋・・・。
 ハッ!真面目に書きすぎた・・・面白みをださないと・・・。では、運命的な出会いについて考えてみましょうか。テレビドラマを見ているとお見合い結婚は好まれないようです。お見合いなんかよりも運命的な恋をしたい・・・。そんな気持ちがあるようです。この場合たいてい仕事重視に生きてきた女性が親に無理やりお見合いをさせられるのです。そしてその相手はたいてい、顔も良くて家柄もよくて医者である。もしくは顔は悪いけどものすごく性格が良い人ですよね、設定は。現実はどうか知りませんが・・・。
 まぁ、基本的に人は運命的な出会いと言うものを期待してしまうものなのです。例えば女性が会社の廊下でハンカチを落としてしまう。それを拾おうとして手を伸ばすと・・・。それを拾おうとした男性と指先が触れ合う。この時同時に「あ!」って言うのです。触れる指先、見つめあう目と目。運命的ですよね〜。ここで大事なのはある程度顔もよく同年代であることです。おそらくこの女性は25歳と設定すると相手が40歳のおっさんだと運命を感じないでしょう。(おじさんは悲しいぞ・・・・グスン)
 でも、現実にそんな運命的な出会いと言うのが起こるのは少ないです。それに現実問題、運命的な出会いをして「惚れた」としてもその人が良い人かどうかは分かりません。結婚してみると大酒飲みで暴力を振るうなどと言う話はテレビの相談番組ではお馴染みです。理性的かつ本能的な恋をしたいものです。そろそろ終わらないと読む人も大変なので終わりますが、恋は「したい」と言う意思ではなく「してしまった」「好きになってしまった」と言う受身的なものだと思います。

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西

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